サバイバル物語 in Germany

【サバイバル物語 in Germany】

これは僕の2017年7月1日から10月31日までに書き記した日記を抜粋してまとめた今でも思い出すと恐ろしい命がけのエピソードです笑

はじめに…。

AFSで高校生時代にインドネシアに年間留学に行ってから、留学中の孤独から鬱病になった。なんとか帰国後高校は卒業できたが進学するエネルギーがなかったので、鬱状態のままマジシャンとしてデビューをして企業イベントや個人主催のパーティ、レストランや居酒屋でのパフォーマンスを始めた。そのうちに鬱もだいぶ良くなり元気が出てくると、マジシャンとしてフリーで生きていく事に急に不安を持ち始めた。だが留学中からずっとマジックの事しか勉強してこなかったので自分が何をしたいのかわからない。これからどの道に進もうか迷い、自分探しの意味でワーキングホリデーを利用してもう一度海外に行こうという感じだ。実はもっとドイツに行った理由は複雑だったのだがややこしいのでワーホリビザを使った理由はこういう事にしておく。

1※最初のホストファミリーはサラのファミリー。サラもAFSerで僕と同じ時期にインドネシアに留学をして当時は仲が良かった。一年間受け入れてくれるということで滞在費を払わせてと言ったが友達だからいいのよ!と言われ、無償で受け入れて下さることになった。感謝。

7月1日

1日の深夜2時にフランクフルト国際空港に着き、予約していたホテルに電車で移動。チェックインは夜中の3時。そして正午にはサラのファミリーと無事に会えた。ドイツ語も分からずにインターネットも繋がらずにここまでスムーズにあえたのは嬉しくて今後も上手くいくとそう感じさせてくれた。家族構成はサラが僕より一つ下で妹のドラが中学生。マザーとファーザーは警察官だった。そしてその家にはパナマからのAFS留学生のロンがいた。そしてロンとサラが付き合っている。ちょっと不思議なケースだ。この日はファミリーとある程度話して日本のお土産などを渡してからは時差ボケを直すために爆睡した。これからの生活が楽しみで仕方がなかった。

7月4日 

ファーザーの運転で住民登録に行った。ドラと散歩に行った。夜ご飯にカレーを振る舞った。数日寝て時差ボケが治り、ドイツのAFSerと会ったり充実していた。ファミリーの家はド田舎で麦畑しかなく鶏やウサギや馬を飼っていた。家も案内してくれて、パーティールームや手作りの大シアタールームまであり、刺激的だった。マジックも毎日楽しんでもらえて嬉しかった。折り紙をドラに教えたり楽しくコミュニケーションもできた。

7月7日

年間留学生のロンが帰国日になり帰国。それに合わせてロンと結婚を考えてるサラはロンの家族へ挨拶の意味でパナマに一緒に行く。そしてドラは二週間のイギリス留学にいき、寂しくなった。

7月8日

僕の誕生日。去年はインドネシア留学中に誕生日を迎えた。ドラが前日に書いてくれていたバースデーカードをマザーからもらう。嬉しかった。ありがとう。ファーザーに連れられ歩いて2時間の所にある綺麗な城に行ったりと観光をさせてくれた。2000円のランチもご馳走になり、感謝しかなかった。ファーザーは英語が全く通じなかったのでGoogle翻訳を通してコミュニケーションを取っていた。これはこれで楽しかった。

7月11日

さーここでまさかの予想だにしなかった緊急事態発生!! この家をあと一か月で出なくてはいけなくなった。マザーと二人で夕食時に「よしき、田舎よりも都会に出たほうが仕事を始めやすいしいい経験ができるんじゃない?」と言われ、僕はここが好きだしバスで街まで行けるから仕事面でも心配しないで!大丈夫だよ。と言ったら「実はロンのファミリーが来月から家に住むことになったの。だからあなたがいると私大変でいっぱいいっぱいだから出て行って」と。僕もタダでステイさせてもらってるので素直にはいと言うしかなく。了承した。でもこの時点で僕は焦っていた。ドイツで新学期目前のこのシーズンに住む場所を見つけることは非常に難しいと言われてるからだ。。。そしてそれは本当だった。(ファーザーは追い出すのには反対していたらしい。)

7月12日

朝から不動産会社やドイツ人AFSer等色んな人に連絡をした。

インターネット掲示板でもフェイスブックでも投稿しまくった。見つかるかなぁ。。絶対見つけないと。見つからなかったらホテルって手もあるなとは思ったがその先見つかる希望もないし最悪パターン帰国か・・・なんて脳裏で考えてもいた。ドイツを出てオランダの親友の家に行かせてもらおうとも考えていた。

7月13日~16日

AFSの同期の友達がドイツのハノーファーに住んでいたので会いに行き三泊させてもらった。とてもお世話になってしまった。観光もできて楽しかった。お助けキャラ一人目。※彼は両親のお仕事の関係でこちらにいる。

7月17日

夕食時にマザーの気分で21日から出て行ってほしいと言われてしまった。その時に言われた今でも忘れないマザーの衝撃の一言…「いえーい!あなたとはあと数日でフィニッシュよ!I’m Happy Now!」狂気に満ちたその言葉に僕は驚き、吐き気が来てトイレに駆け込んだ。この時点でまだ21日以降の寝る場所は確保できていない。本気で野宿を考えていた。

7月20日

やっと一時的に生き延びることが出来ることになった。。。 神様ありがとう!!!

サラの友達のセバが21~26日。サラの友達のララが26~31日ホストしてくれることになった。追い出される前日にここまで見つかったのは幸運だったとしか言えない。セバもララも完全初対面だ。嬉しくてホストしてくれることが決まったときは発狂したのを覚えてる。

7月21日~26日

セバ家はものすごく優しい家族だった。愛を感じた。優しすぎて思い出すだけで涙が出る。マザーとファーザーとセバと他に三人の兄弟。余裕のある生活と感じた。セバは心優しく、僕の好きなタイプの人間だった。一緒にスマブラをしたりアニメを見たり、そしてセバにはなぜ僕が追い出しを食らったのか話した。もともとセバとサラは浅い友人関係だったようなので僕も話せた。そしてセバは僕の31日からの家探しも手伝ってくれて英語の分からない人と話す時の通訳をしてくれたりした。そのおかげで25日には、31日から2か月は住めるシェアハウスをハノーファーで見つけることが出来た。感謝。

7月26~31日

イェーナという町に住んでいるララの家にセバが連れて行ってくれた。ありがたいことに二人は友人関係だったので引継ぎが楽だった。ララの家は自営業で決して裕福ではなかったが、とても優しいマザーが居た。そこではご飯はいらないよと言っていたので朝昼晩三食外食にした。それでも作ってくれた時は嬉しかった。僕の為にとてもお洒落な芸術的な客間を用意して下さり感謝だった。仏教徒らしく、アジアンチックな置物が多くて落ち着いたのを覚えている。マザーの趣味が壁にペインティングをすることらしく、汚れた玄関の壁を一日マザーとペイントしたりと、楽しく過ごす事ができた。

7月31日

大荷物を抱えての大引っ越し!!とにかく大変だった!20キロのスーツケースと10キロのボストンバックを持っての引っ越し。シェアハウスに移動した。家賃は日本円で3万円の優しい値段設定の物件だ。敷金も無しだった。家主のアントニオさんはAFSerで優しい人だった。この方とは5万人が参加しているAFSという非公式フェイスブックグループで知り合ったベルリン在住の日本人AFSerのご紹介で繋がることが出来た。アントニオさんはもしも次住む場所がどうしても見つけられなかったらここには半年ぐらい住んでもいいからね。だからとにかく安心してドイツを楽しんでねと言ってくださり、ハグをして下さった。自分の部屋もちゃんとあり、やっと落ち着いて仕事探しもできるなと感じた。Wi-Fiもあってバスタブもあり完璧の物件だった。※シェアハウスメイトは他に中国人の女の子、インドの男の子、オランダの男の子がいた。みんな暖かく迎えてくれた。

8月2日

家の近くにあるFACE RESTAURANT & CLUBという日本食レストランの面接に行き、テストという事で肉じゃがとお鍋を作った。オーナーはドイツ人で日本に来たこともないのでなんちゃって日本食しか知らない。そのおかげで面接は受かり、明日から研修だといわれた。給料の事を聞いたら研修期間が終わったら払うという。給料も人によって変わるのでまだいくらかも言えないといった。

8月7日

FACEに言われパスポートと住所、ワーホリビザナンバーを持っていったら勝手に労働証明書を発行された。え、ちょ。まだ給料も聞いてないのに登録された。

ここ大丈夫か?と疑う。手順が違うだろ。

8月10日

FACEでは基本巻きずしを作る。膨大な量のお皿を洗い終わらないと帰れない。人手が少なくかなりのハードワークだった。一日八時間労働で毎日16時から24時まで働いていた。だが鰻やサーモンやマグロやタコ等を使って自由に昼食を食べて良かったのでそのおかげで日本シックは抑えられた気がする。いつになったら研修期間がおわるのか聞いたらあなたはまだまだ未熟だからもっと上達しなさい。しかし強く言ったら明後日寿司テストをすると言われた。そしてこの日から専属のマジシャンとしてお客さんのテーブルでマジックをした。お客様からのチップとオーナーからのパフォーマンス料で大体一日に8000円ぐらいだ。たまに1万円を超えるぐらい。ただそれは毎日あるわけではないし、僕は技術の安売りだと思っていたので値上げをその後も何度も要求する。本当は三時間で25000円はもらわないと僕としては割に合わないと感じていた。

8月20日

二週間ぶりの休み。家で爆睡。

まだマジック以外の正規の給料はもらってない。さすがに疑う。

8月23日

オーナーに給料についてしつこく言ったら今日から給料発生。

寿司テストは結局なかった。ただ金をあげたくなかったのだろう。とりあえず…やったあ!

8月27日

64期でドイツに来ている後輩2人と会った。

ハノーファーの動物園に三人で行った。仕事疲れが吹っ飛んだ。

9月1日

FACEが最低賃金も払わない企業だという事がわかりオーナーに言っても変な言い訳しかしないので今まで働いた分だけの給料だけもらって次の日から辞めることにした。調べるとドイツでもやっぱり研修期間は最低賃金を払わないといけないといけないらしい。働き始めたときにそのことをオーナーに聞いたらそんなことはないと言われてしまいそっちを信じた自分がバカだとおもった。ハノーファーの最低賃金は1200円程。僕はたった550円だった。

9月2日

オーナーが休みで会えなかった。給料くれ。早く逃げてやりたい。

(とりあえず今まで働いた分だけはもらわないと…。)

9月3日

やっと会えた!一か月半働いて400ユーロだけしかもらえなかった。そして帰宅してからオーナーに電話。僕も若いのでお金が必要ですし、最低賃金も払ってくれない所で働くのは嫌です。今日をもって辞めさせていただきます。そして連絡先を全部ブロック!実はオーナーは暴力的な人で関わりたくなかったのだ。この時点ですでに僕の鬱病は再発していた。この職場は明らかにおかしかった。シェフが僕と同じ理由で三人急に逃げたりして経営難だったようだ。逃げた人は賢い。正解だ。

9月4日

朝から知らない電話番号から引っ切り無しに電話が鳴りまくる。

もちろん全無視。オーナーからおまえの住所にいまから押し掛けるというメッセージも来たが全く動揺しなかった。何故ならこんなこともあろうかとオーナーに教えていた住所は以前のサラの家に住んでいたときに住民登録した過去の住所情報だったからだ。どこに住んでるの?と以前職場で聞かれたときも嘘の場所を言っておいたので安心だった。だが安心はできない。FACEと僕の家の距離は徒歩10分だ。FACE関係者に遭う可能性はかなり高い。おどしのメッセージ(FU*Kとか文章にあって教養を疑った)や日本領事館を装う電話(身分偽りで立派な犯罪!)やメッセージも多くなって来てとりあえずハノーファーを出ようと決めた。いい街だったのになあ。。。

9月6日

そんなこんなで毎日50件以上の電話が来る。恐ろしくて外に出るのも注意していた。出かけるのはFACEにお客が来て忙しくなる時間を狙って外出をした。見つかったら殺される…そんな心境だ。食材を買いに行くときももう犯罪者みたいな心境でキョロキョロ見回しながら歩いていた。そして家から出にくくなった時に、前にお泊りしたAFS同期の友達が家に遊びに来てくれた。ありがたかった。どうやらオーナーは日本人マジシャンをFACEのブランドにしたかったらしく、ホームページなどにも載せていて次のマジックイベントも企画していたので僕を逃がしたくなかったらしい。メッセージで毎日三時間で2万円払うとも言われたがもう嫌だったのでそのメッセージも無視した。逃がしたくないならちゃんと前々から高い対価を払いましょうね…笑

9月9日

日本の家族にもきちんと今の現状を伝えたらとにかく早くハノーファーを出たほうがいいとなり、デュッセルドルフのユースホステルを6泊予約した。引っ越しは明日。そしてその次の家もインターネット掲示板を通してその付近で見つかった。日本人男性とのシェアハウスで家賃は8万円、敷金5万円。高いがしょうがない。その家主の方とスカイプでビデオ通話をしてデュセルドルフ滞在目的などを伝えた。

9月10日

ホステルに到着六人部屋。シャワーもあり簡単な朝食付き。高速Wi-Fiもあり助かった。

バックパッカーが多く、新しい世界を見た。ベットもまあまあ快適で生命線のスマホもちゃんと充電できたので良かった。

9月11日~13日

日本食レストランに営業を掛けた。デュッセルには日本人が多く、日本食レストランも多い。日本人学校もあった。レストランでは日本でしていたように流しのマジシャンとして働らこうと思ったのだがどこも断られてしまった。どうやら日本の居酒屋とこっちの居酒屋の違いでマジシャンを置くことによって客が回らなくなるようだ。どういうことかというと日本の場合マジシャンがいる事によりお客は長く滞在してその結果注文が増える。だが向こうの日本食は一品一品が高いので長くいても客はお金を落とさないらしい。言われてみれば確かにだ。ここでものすごく焦る。なぜなら僕は普通の職場で働けないからだ。※理由。⇒今の僕は住民登録のできる家に住める予定がこの先もなく、さらに今のご時世住民登録なんかしたら例の暴力オーナーがその気になれば僕の住所を特定することも容易だからだ。その2つがあり僕はデュッセルドルフに来る前から流しのマジシャンしかないと思っていたのだ。

9月16日

ユースホステル最終日。帰国したいと強く思った。収入が無い。貯金は沢山あったが、先が見えない。オーナーが追ってこないだろうか…怖い。犯罪者の心理だ。別に悪いことはしていないのに。家族に電話をしたらまだいける!といわれた。何をどう頑張ればいいのだ…悩んだ。

9月17日

大引っ越し!!!僕はドイツに来てから一体何回引っ越しをしたのだろう。ホステルをチェックアウトして移動開始!もう手慣れたものだった。家主に無事会えて、家の鍵をもらった。この家には10月31日まで住んでいいことになっている。家主の竹内さんは普段はフランスでお仕事をされていてたまにこのドイツの家に帰ってくるらしい。結婚はされていて奥さんとお子さんは日本にいるようだ。竹内さんは自分が留守の間に家にだれか居て欲しいという意味で掲示板で募集をしたという事らしい。その家はとにかく広くて僕一人で住むのには本当に広すぎた。敷金を払い、家賃の8万円も前払いで払った。お風呂がそこにはあって今までずっとバスタブには入れていなかったので嬉しくて毎日朝と夜に入った。幸せを感じた。

9月20日

色々考えたが次の住む家も見つからなそうだし、そのおかげで職場も見つからないし、さらに心配事が増えてしまい鬱も再発してしまいこれ以上いるのは今後に響くと帰国を決意。

だがしかし、問題が。竹内さんとこの家には最後まで住む約束をしてしまっているので10月末まではいないといけない。残りはドイツ観光に時間をあてることにした。

9月下旬

毎日自炊。よく日本食レストランにいって日本食を食べる。ラーメン一杯1500円するが心のケアには自国の食事も大事だ。帰国の飛行機のチケットを予約して、10キロの荷物を段ボールに詰めて2キロ離れた郵便局に自力で持って行ったり、本当にいろいろあった。帰国手続きでデュッセルドルフにある日本国総領事館に行ったりもした(この時にデュッセルドルフを引っ越し先にした自分は正しかったと思う。もしもベルリンやフランクフルトなんて行ってたら帰国届の為にデュッセルドルフまで行かないといけなかったと思うと恐ろしい)1人でいると人と話す機会がなく気分も沈むので毎日日本とスカイプで誰かと話すようにした。友達の大切さを感じた。みんなありがとう。そんな時にすごいことに気付く。デュッセルドルフ日本人学校の近くに京進という以前僕が中国に住んでいたころ…中学生の時に通っていた塾があるのだが、そこに吉岡先生という当時とてもお世話になっていた女性の先生がいるらしいという情報をデュッセルドルフ日本人学校に通っていた帰国子女の友人から聞いたのだ。

【2ndサブエピソード~恩師達と6年ぶりの再会~】

以前僕が通っていたのは京進広州校。僕は期待をして京進デュッセルドルフ校に電話を掛けた。電話に出たのはおじさん。以前京進広州校にお世話になった小林ですと名乗って、吉岡先生がいらっしゃると聞いてお会いしたいと思い連絡したと伝えたら…「あ~…吉岡は三年前に移動がありもう帰国してはるんですよ。」と。残念だなと思ったら‥「実は私も広州校に勤務していて吉岡先生とは一緒に仕事していたんですよ」という。え、お名前もう一度うかがってもよろしいですか?と聞いたら「山西です」山西先生?!?! 山西先生も当時お世話になっていた数学の先生だ。先生も喜んでくださって数日後に面会時間を取ってくださることになった。

徒歩で二時間。雨の中歩いて京進に行った。

久しぶりの再会。久しぶりの先生のお顔で安心した。と、次の瞬間!!

吉岡先生がいらっしゃったww

え、なんで!!

聞いたら一昨日にデュッセルドルフ校に再度移動になったらしい。社内の移動情報なのでこの前に電話した時は言えなかったようだ。まさか以前お世話になった先生に二人同時にお会いできるとは!!僕はどれだけ運がいいのだろうと思った。マジックを見てもらいサインカードを記念にお渡しした。幸せな気分になった一日だった。帰るころには雨がもっと強くなっていたが心のお助けキャラの登場で気分は晴れだった。

10月21日

以前ハノーファーで一緒に動物園に行った後輩君が家にお泊りに来た。

久々の日本語での長時間会話についていけなかった。

10月25日

大事なことに気付く。住民登録抹消手続きをしないといけないことに。

本当は登録したところ(サラの家の近く)の市役所に行かないといけないのだがそんなのは無理なのでとりあえずどうにかなるだろうとデュッセルドルフの市役所に行った。

整理券を取って、順番になった。抹消手続きをしたいと説明するとそれはここでは無理ですといわれ返されそうになった。もちろん絶対に引き下がらない。五日後帰国なんです!その住民登録をした市役所に郵送でやり取りはできないんですか?と言ったら面倒くさそうに、聞いてみますといってくれた。結果はOKだそうだ(笑)←やっぱりね。郵送費はかからなかった。これで一件落着。あとは帰国日に飛行場に行くためのタクシーを手配しないと・・!

深夜3時に出発したい

10月26日

ネットで探すとドイツで主流のMY TAXIというタクシーアプリを発見。

簡単に指定が出来た。ちゃんと当日家の前に来るかなと心配。

10月29日

明日の3時にこの家を出る。今日の夕方に竹内さんが帰って来て敷金を返してくれることになっているのだが約束の時間になってもお帰りにならない。聞いてみると帰られなくなったという。お見送りできずにすみません。敷金を本棚の右上の本の間に挟んでありますのでご確認くださいとメールが来た。確認したところちゃんとあった。よく考えれば敷金を返す為だけにドイツに戻ってくるなんておかしい話だ。賢い人だと思った。慣れているのだろう。これは勉強になった。

10月30日

タクシーがちゃんと来た!!

ドイツはベンツのタクシーで客は助手席に座る。無事飛行場までついた。

ありがとうを言って去ったが忘れてた⇒荷物手数料で15%ほど上乗せしようと思ってたのにそれを渡しそびれた。タクシーの運ちゃんゴメンよ…。

Eチケットを印刷し、無事搭乗。

ポーランド航空で二時間かけてポーランドに行く。その次はロシアの航空会社で成田国際空港へ。10時間のフライト。

10月31日 帰国。

こんな感じだ。とにかくAFSでインドネシアに留学した時よりも10倍は体力を使ったと思う。帰国しても三か月は何にもやる気が出なかった。

ワーキングホリデーは素晴らしい国家間のプログラムだ。それは間違いない。だが、業者を通さない分、何かあったときに全て自分で考え動かないといけない。そこは学生のうちに留学するのとは違うと思った。

まとめにしたいが、このストーリーにはまだ解決していないことが実は一つだけある。それは友達のサラに僕が本当に家を出た理由を言えていないからだ。サラのマザーはサラに僕が田舎よりも都会がいいと出て行ったと伝えているらしいがそんな失礼な話はないと思う。僕はドイツに行く前に田舎なのを了承してそれが好きで行っているからだ。だのにその理由はないだろう。いつか本当の事を伝えようと思っている。とりあえず当分はまだ言わないでおこうと思う。時が来たら言おう。

THE  END